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平和記念公園 茶会

広島市被爆70周年記念事業 上田宗箇流
2015年8月15日 午前4時〜午前6時
終了しました
広島の力強い文化が集結
 
2015年に広島市が被爆70年を迎えるにあたり、「被爆70周年記念事業」として平和記念公園を舞台に上田宗箇流の協力のもと茶会を開催します。戦前、廣島には城下町の豊かな文化体系がありましたが、被爆によりそれらの文化財や人材が多く失われました。広島で400年以上つづく茶の湯の家元、上田宗箇流はこの苦難も乗り越え、その美意識は現在もここ広島に力強く息づいています。
上田宗箇の師である千利休によって大成した茶の湯は、建築、焼物、漆器、金工、書、花、菓子などが組み合わさり成立することから、総合芸術と呼ばれます。本茶会も宮島焼、銅蟲、高盛絵などを始め広島の伝統文化が集結する場を作り出します。
 

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平和の軸線に「文化のシンボル」
 
丹下健三が提唱した「平和の軸線」は平和記念資料館と原爆ドームを結ぶもので、広島市の都市計画を考える上で重要な指針となっています。本茶会では茶室を資料館北側に設置し、慰霊碑を挟んで「茶室(文化のシンボル)」と「平和の灯(宗教・産業の火)」とが対となるようにすることで、これからの広島には「宗教」「産業」に加え「文化」の力が重要であることを示します。

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平和記念公園を露地に見立てる
 
茶室を取り囲む平和記念公園全体を露地(茶庭)に見立て、広島の中心部に茶の湯の空間を作り出します。通常露地は基本的なフォーマットが決まっており、本茶会も既存の設置物も見立てに活用しながらそれに準じて設計しています。当日客人は公園内に仮設された腰掛待合、中門、つくばいなどを通過し茶室へと進みます。

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茶室と光の演出
 
本茶会の茶室は広島県産の木材を使用した総組木造りで、床下には強力なライトを配置し、上空に向かって垂直に照射します。茶会開始時は光の筋が茶室を囲むように立ち、暗闇の中に四畳半の空間が浮かび上がります。その後、日の出とともに次第に光の筋が空間に消え、入れ替わるように現在の復興した広島が現れます。
茶会亭主・客人
 
本茶会では、亭主と客人の4名が特設の茶室に入られます。亭主よりお茶やお菓子が振舞われる中、「これからの広島」について文化的な側面からお話をしていただきます。
上田宗箇流家元 上田 宗冏氏
1945 年6 月20 日広島市生まれ。1970 年代年後半から30年以上の歳月を掛け、かつて廣島城内にあった上田家上屋敷を現在の場所に再建するなど、広島の文化の復興に精力的に取り組む。1995 年家元を継承。
広島市長
松井 一實氏
 
1953年広島市生まれ。父は銅蟲作家の松井明宝。京都大学法学部卒業後、1976年労働省に入省。その後、中央労働委員会事務局長、厚生労働省総括審議官などを歴任し、2011年広島市長に就任。
建築家
隈 研吾氏
 
1954年横浜市生まれ。東京大学教授。近作に、根津美術館、歌舞伎座、ブザンソン芸術文化センターがあり、現在16カ国で多数のプロジェクトが進行中。著書は『小さな建築』『建築家、走る』他、多数。
カーデザイナー
前田 育男氏
 
1959年広島市生まれ。マツダのグローバルデザインリーダーとして、国内外全車種のデザイン指揮を取る。2010年から「クルマはアート」というスローガンのもと、独自のブランドデザイン戦略を推進している。
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