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平和記念公園 茶会

広島市被爆70周年記念事業 上田宗箇流
2015年8月15日 午前4時〜午前6時
終了しました
当日の様子

当日の様子

腰掛待合

腰掛待合

元安川のほとりに設けた客人3名の腰掛待合の様子(左から、隈研吾氏、松井一實市長、前田育男氏)

腰掛待合

腰掛待合

元安川の向こう岸には原爆ドームが見える

つくばい

つくばい

平和の灯のそばに設置されたつくばいで手を清める様子

原爆死没者慰霊碑

原爆死没者慰霊碑

慰霊碑に一礼をする客人たち

小路

小路

慰霊碑から茶室に続く直線の小路

小路

小路

光の茶室へとむかう客人たち

茶席入り

茶席入り

客人3名と亭主の上田宗箇流家元 上田宗冏氏が茶席入りし、ご挨拶する様子

薄茶

薄茶

亭主が薄茶を点てる様子

薄茶

薄茶

薄茶を召し上がる客人

一般参加者席

一般参加者席

お茶室の左右にそれぞれ100名ずつ一般参加者の方が腰掛け、茶事を見学。お茶室の会話はスピーカーにより、参加者も聞くことが出来る。またお茶、お菓子、白湯などがお茶室と同じタイミングで全員に振る舞われた

夜明けの茶室

夜明けの茶室

午前5時前より徐々に空が青みをおび、夜明けを迎える

夜明けの茶室

夜明けの茶室

青みをおびた空は次第に赤みも伴いながら明るく変化していく

家元と客人の会話

家元と客人の会話

薄茶の後はしばし亭主と客人との会話の時間となった

家元と客人の会話

家元と客人の会話

家元は、「広島の復興が一段落し、ここ20年くらいでようやく歴史や文化を語れるようになった」と戦後の広島を振り返りながら語られた

家元と客人の会話

家元と客人の会話

夜が明けてきたことで、お茶室と一般参加者席が一体となって感じられる

名水点

名水点

名水点(めいすいだて)で客人に白湯を振る舞う亭主。名水点とは、特別な水を用いて茶会を催した際に行うもので、茶会の最後に白湯のみを客人に振る舞う。今回使用した水は広島の7つの川の源流である冠山の上流から汲み取った

白湯を召し上がる客人

白湯を召し上がる客人

白湯は竹筒に入れて振る舞われた

白湯を召し上がる一般参加者

白湯を召し上がる一般参加者

会場のすべての方に、お茶、お菓子と同様に竹筒に入れた白湯が振る舞われた

道具を拝見する客人

道具を拝見する客人

使用した茶道具を客人の方が拝見され広島の伝統文化や工芸について亭主とお話をされた

茶会全景

茶会全景

夜が明け朝の爽やかな日差しに包まれながら茶会は終了となった

広島の力強い文化が集結
 
2015年に広島市が被爆70年を迎えるにあたり、「被爆70周年記念事業」として平和記念公園を舞台に上田宗箇流の協力のもと茶会を開催します。戦前、廣島には城下町の豊かな文化体系がありましたが、被爆によりそれらの文化財や人材が多く失われました。広島で400年以上つづく茶の湯の家元、上田宗箇流はこの苦難も乗り越え、その美意識は現在もここ広島に力強く息づいています。
上田宗箇の師である千利休によって大成した茶の湯は、建築、焼物、漆器、金工、書、花、菓子などが組み合わさり成立することから、総合芸術と呼ばれます。本茶会も宮島焼、銅蟲、高盛絵などを始め広島の伝統文化が集結する場を作り出します。
 

1

平和の軸線に「文化のシンボル」
 
丹下健三が提唱した「平和の軸線」は平和記念資料館と原爆ドームを結ぶもので、広島市の都市計画を考える上で重要な指針となっています。本茶会では茶室を資料館北側に設置し、慰霊碑を挟んで「茶室(文化のシンボル)」と「平和の灯(宗教・産業の火)」とが対となるようにすることで、これからの広島には「宗教」「産業」に加え「文化」の力が重要であることを示します。

2

平和記念公園を露地に見立てる
 
茶室を取り囲む平和記念公園全体を露地(茶庭)に見立て、広島の中心部に茶の湯の空間を作り出します。通常露地は基本的なフォーマットが決まっており、本茶会も既存の設置物も見立てに活用しながらそれに準じて設計しています。当日客人は公園内に仮設された腰掛待合、中門、つくばいなどを通過し茶室へと進みます。

3

茶室と光の演出
 
本茶会の茶室は広島県産の木材を使用した総組木造りで、床下には強力なライトを配置し、上空に向かって垂直に照射します。茶会開始時は光の筋が茶室を囲むように立ち、暗闇の中に四畳半の空間が浮かび上がります。その後、日の出とともに次第に光の筋が空間に消え、入れ替わるように現在の復興した広島が現れます。
茶会亭主・客人
 
本茶会では、亭主と客人の4名が特設の茶室に入られます。亭主よりお茶やお菓子が振舞われる中、「これからの広島」について文化的な側面からお話をしていただきます。
上田宗箇流家元 上田 宗冏氏
1945 年6 月20 日広島市生まれ。1970 年代年後半から30年以上の歳月を掛け、かつて廣島城内にあった上田家上屋敷を現在の場所に再建するなど、広島の文化の復興に精力的に取り組む。1995 年家元を継承。
広島市長
松井 一實氏
 
1953年広島市生まれ。父は銅蟲作家の松井明宝。京都大学法学部卒業後、1976年労働省に入省。その後、中央労働委員会事務局長、厚生労働省総括審議官などを歴任し、2011年広島市長に就任。
建築家
隈 研吾氏
 
1954年横浜市生まれ。東京大学教授。近作に、根津美術館、歌舞伎座、ブザンソン芸術文化センターがあり、現在16カ国で多数のプロジェクトが進行中。著書は『小さな建築』『建築家、走る』他、多数。
カーデザイナー
前田 育男氏
 
1959年広島市生まれ。マツダのグローバルデザインリーダーとして、国内外全車種のデザイン指揮を取る。2010年から「クルマはアート」というスローガンのもと、独自のブランドデザイン戦略を推進している。
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